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山口地方裁判所 昭和49年(わ)150号 判決

目  次

主文

理由

第一 公訴事実

一 変更後の訴因

二 択一的に追加された訴因

第二 認定した事実

一 出光石油化学株式会社徳山工場の概況

二 第二エチレン製造装置

1 構成機器(プラント)

2 エチレンの製造工程

3 作業員

三 第二アセチレン水添塔

1 アセチレンの水添

2 構造

3 塔内の反応

4 計装

四 事故の概況

1 運転の引き継ぎ

2 岩本稔の誤操作

3 事故発生の経緯

4 事故発生と被害

五 事故の原因

1 はじめに

2 事故調査委員会による調査結果

3 まとめ

第三 被告人らの責任

一 被告人らの経歴、地位等

二 V264Bの温度制御に関する手法

1 V264Bにおける昇温とアラームポイント

2 降温対策

三 結果の予見可能性

1 被告人前岡博幸

2 被告人石坂重孝

3 被告人大西勝則、同田中弘幸

4 まとめ

第四 結語

別紙

(一) 出光徳山工場組織機構

(二) エチレンの製造工程図

(三) 第二エチレン製造装置配置図

(四) A直の構成

(五) V264B反応塔概略図

(六)の(1) アセチレン水添システムフローシート

(六)の(2) 第二アセチレン製造装置計器室のボードパネル見取り図

(七) V264BのM2温度の記録

(八) V264B塔出口付近概略図

(九) V264BのM2温度の記録(TRAH一六〇三)

V264Bの原料ガスの流量の記録(FR一五五八)

(一〇) V264Bの水素流量の記録(FRC一六一一)

被告人 田中弘幸 外三名

主文

被告人らはいずれも無罪。

理由

第一公訴事実

一  変更後の訴因

被告人田中弘幸は、山口県徳山市宮前町一番一号所在の出光石油化学株式会社徳山工場製造第一課第二エチレン係長として、同工場の第二エチレン製造装置(ナフサを分解、精製してエチレン等を製造する装置)の管理、運転の統轄等の業務に従事するもの、被告人大西勝則は、同係A直直長として、同装置の管理、運転等の業務に従事するもの、被告人石坂重孝は、同係A直直長補佐として、同直長を補佐して同装置の運転、管理等の業務に従事するもの、被告人前岡博幸は、同係A直の同装置低温蒸留部門担当ボードマンとして、同部門のボード計器類の監視・機器の操作等の業務に従事するものであるところ、被告人らは、昭和四八年七月七日午後六時五〇分ころ、同係A直ローテンプマン岩本稔による同装置計装関係バルブの誤操作によつて同装置の全計器に異常をきたしたため、いつたんナフサ(粗製ガソリン)の供給を停止して同装置全体の緊急運転中止措置をとつたのち、徐々に同装置中の一連の各機器の運転を再開しようとしたが、右低温蒸留部門に設置されている第二アセチレン水添塔(以下「水添塔」と略称する。)は、パラジウム触媒を使用し原料ガス(主としてエチレン)中のアセチレンに水素を反応(水添反応)させてエチレン化し、原料ガスのエチレン純度を高めるための反応器B、Cを内臓し、正常運転の状態においては原料ガス及び水素(原料ガスに含まれる約五、〇〇〇PPMのアセチレンと反応するに必要な量に限る。)が自動制御により供給される仕組みになつていて、アセチレンが少量のためその水添反応による発熱量も少なく、右各反応器の温度は摂氏約七五度に保たれているものの、原料ガスの供給を停止したのちに、右各反応器に多量に滞留する原料ガスに、水素調節弁を手動にし、アセチレンに比して過剰の水素を多量に供給するときは、これが右原料ガス中の多量のエチレン(前記水添反応前の原料ガス中のアセチレンの約二〇〇倍の量)と反応(水添反応)してエチレンがエタン化する際多量の反応熱を発生し、右各反応器の全部又は一部が異常に昇温することが予見され、右のように異常に昇温した際更に原料ガスや水素を供給するときは、いかなる暴走反応(一又は二以上の発熱反応が連続して発生し、制御が著るしく困難になる状態)を惹起して右各反応器を爆発するに足る高温に達し、爆発、出火の危険があるやもはかり知れず、その危険を予見できたのであるから

第一  被告人前岡博幸は、同日午後六時五八分ころ水添塔へ原料ガス(自動調節弁の開放による。)と水素(手動弁の開放による。)の供給を再開したところ、前記緊急運転中止措置に伴う前記装置の異常な状態が回復していなかつたため、同日午後七時一一分ころ原料ガスの供給が自動的に停止し、右各反応器に多量の原料ガスが滞留する事態となつたことを知り、これが規格外製品になることをおそれて手動弁開放による水素のみの供給を続けようとしたが、右原料ガス中のアセチレンと反応するに必要な水素の量は約三分間で供給し得る程度にすぎなかつたので、午後七時一一分ころからおそくも約三分後には水素の供給を停止すべきであり、右量を超えて過剰な水素を供給した場合には、その事実を知らない他の係員が更に原料ガスや水素を供給するおそれがあつたのであるから直ちに直長らにその旨を報告して原料ガス等の供給を防止するとともに、直長らの指示を受けて孤立脱圧、窒素パージを行うなどの適切な是正措置を講じ、暴走反応による事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、右供給を停止することを失念してそのまま同日午後八時八分ころまで水添塔へ水素の供給を続け、しかも右の長時間にわたる過剰な水素供給の事実を直長らに報告せず、何らの是正措置を講じなかつた過失により、B反応器(前記反応器Bのこと。以下同じ。)においてアセチレンの水添反応のほか多量のエチレンの水添反応等を惹起させてB反応器の上部の温度を摂氏約三四七度にまで上昇させ、更に被告人石坂の後記第二の過失とあいまつて、同被告人をして同記載のとおり水添塔へ原料ガスと水素を供給するに至らせ、B反応器において、右各水添反応を促進するとともにエチレンの接触分解反応・非接触的熱分解反応を惹起、促進させてB反応器全体の温度を摂氏約一、〇〇〇度にまで急上昇させ

第二  被告人石坂重孝は、前記第一のように原料ガスが右各反応器に滞留中は、正常運転時と異なる事態が発生することをおもんぱかり、右各反応器の各中央付近に取付けられたM2温度計のほか各上部付近に取付けられたM1温度計表示の温度をもそれぞれ確実には握し、原料ガスが滞留中であるにもかかわらず反応器が昇温しているなどの異常を認めた場合は直ちに直長らに報告するとともに、水素が誤つて過剰供給され、これに起因する多量のエチレンの水添反応が生じた可能性のあることなどを考慮し、流入水素量記録紙により水素供給の有無及び右滞留中の水素流入量を確認するなどしてその原因を究明し、過剰水素流入の疑いがあるときは更に原料ガスや水素を供給することを絶対に避け、直長らの指示を受けて前記第一の適切な是正措置を講じ、暴走反応による事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、同日午後九時三〇分ころ、B反応器M2温度計の温度が摂氏約七五度を超えて約一三〇度にまで上昇しているのを約一〇〇度と見誤つたうえ、たとえ約一〇〇度であつてもB反応器M1温度計及び流入水素量記録紙の確認等による昇温の原因究明をすべきであるのにこれを怠り、その昇温が被告人前岡による前記過剰な水素の供給によつて生じたものであることにも、右M1温度計が摂氏約三四七度の異常な高温に達していることにも気付かず、多量のエチレンの水添反応が生じていることに思い至らないまま、原料ガスと水素とを供給することによりB反応器の温度を下げることができるものと誤信して、直長らに報告することなくその供給をした過失により、前記第一のとおり惹起していた多量のエチレンの水添反応及び惹起しもしくは惹起しかかつていたエチレンの接触分解反応等を促進あるいは惹起させてB反応器全体の温度を摂氏約一、〇〇〇度にまで急上昇させ

第三  被告人大西勝則は、前記緊急運転中止措置後に運転再開をしようとするのであり、前記装置の異常な状態が回復していなかつたのであるから、正常運転の場合とは異る危険な事態が発生することをおもんぱかり、水添塔等暴走反応の危険が存する機器については自ら関係計器等(水添塔への水素流量記録計を含む。)を監視し、担当者から報告を求めるなどして各機器の作動状況(水添塔への原料ガス、水素供給の有無を含む。)、温度(前記M1温度計表示の温度を含む。)、圧力等をは握し、水添塔に原料ガスが滞留しているにもかかわらず水素が供給されているのを認めたときは直ちにこれを停止し、また右滞留にもかかわらず右B又はC反応器の昇温を認めた場合には、前記第二と同様の方法によりその原因を究明したうえ原料ガス等の供給を絶対に避けさせ、その供給が開始されていたときは直ちにこれを停止し、前記第一の適切な是正措置を講じ、暴走反応による事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、同日午後七時一一分ころから同日午後九時三〇分ころまで、水添塔への水素流量記録計等の監視を怠り、被告人前岡による前記第一の水添塔への水素の過剰供給を看過しその供給を停止せず、また右供給に起因する前記第二のB反応器の昇温に気付かず、かつ被告人石坂の前記第二の水添塔への原料ガス等の供給を看過したため、右昇温の原因を究明せず、かつその供給を停止せず、右是正措置を講じないままこれを放置した過失により、前記第一、第二のとおり、暴走反応を惹起させてB反応器の温度を急上昇させ

第四  被告人田中弘幸は、被告人大西と同様の業務上の注意義務があるのに、同日午後七時二〇分ころから同日午後九時三〇分ころまで、同被告人同様その注意義務を怠り、前記第三の各措置をとらなかつた過失により、前記第一、第二のとおり、暴走反応を惹起させてB反応器の温度を急上昇させ

同日午後一〇時一五分ころ、B反応器モーターバルブフランジ付近から出火、爆発させて同月一一日午前九時四〇分ころまで炎上させ、よつて、従業員多数が現在する建造物である同工場第二エチレン製造装置の塔槽類五三基等(時価約二五億円、焼失面積延べ約一、八四八平方メートル)を焼燬するとともに、同月七日午後一〇時一五分ころ、前記爆発により、前記モーターバルブフランジ付近で作業中の同工場製造一課第二エチレン係D直長補佐野田浩司(当二五年)を爆風等により焼死させたものである。

二 択一的に追加された訴因

前記一の訴因のうち、被告人前岡に対する第一の部分を、

「被告人前岡博幸は、同日午後六時五八分ころ計装用空気の回復に伴い反応器Bへの原料ガス及び水素が手動調節弁により供給され始めたのに反応器B内の原料ガスが規格外製品になることをおそれて、同日午後七時ころ原料ガス調節弁のみを自動にし水素調節弁をそのまま手動にし水素の供給を続けたのであるが、このような場合、担当ボードマンとしては自動調節弁による原料ガスの供給が圧力差によつていつ停止するやも知れず、もしこれが停止すれば直ちに水素の供給をも停止しなければ前記のとおりの危険が発生することはわかつていたのであるから、右原料ガス供給状況の看視を続け、もし自ら看視できないのであれば水素調節弁を自動にして原料ガス供給停止と同時に水素の供給が停止する措置をとるか、手動に切り換えたままであることを直長らに報告して原料ガス供給停止後に水素のみを供給することがないようにし、もし水素のみが供給された事態に気付けば、その事実を知らない他の係員が更に原料ガスや水素を供給するおそれがあつたのであるから直ちに直長らにその旨を報告して原料ガス等の供給を防止するとともに直長らの指示を受けて孤立脱圧、窒素パージを行うなどの適切な是正措置を講じ、もつて暴走反応による事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに前記措置をとつたのち、自ら原料ガスの供給状況を看視することをせず、しかも前記直長らへの報告もなさないまま前記手動に切り換えたことを失念し、午後七時一一分ころ原料ガスの供給が圧力差の影響により自動的に停止したことに気付かず、同日午後八時八分ころまで、反応器Bへ水素のみの供給を続け、しかも右の長時間にわたる水素供給の事実を直長らに報告せず何らの是正措置を講じなかつた過失により、反応器Bにおいてエチレンの水添反応及びエチレンの接触分解反応を惹起させて、同日午後九時三〇分ころ、反応器Bの上部の温度を摂氏約三四七度にまで上昇させ、更に被告人石坂の後記第二の過失と相まつて同被告人をして同記載のとおり反応器Bへ原料ガスと水素を供給するに至らせ、反応器Bにおいて右水添反応及びエチレンの接触分解反応を促進させエチレンの非接触的熱分解反応をも惹起させて反応器B全体の温度を摂氏約一、〇〇〇度にまで急上昇させ」

と択一的に追加する。

第二認定した事実

一  出光石油化学株式会社徳山工場の概況

出光石油化学株式会社徳山工場取締役工場長増森萬一作成の「捜査関係事項照会回答の件」と題する書面(徳工発第二六三号昭和四九年四月二五日付)、登記簿謄本、出光石油化学株式会社定款一冊(昭和四九年押第六六号の28)、「出光石油化学徳山工場ごあんない」と題する書面一枚(同号の33)によると、次の事実を認めることができる。

出光石油化学株式会社(以下「出光」という。)は、昭和三九年九月、出光興産株式会社の石油化学事業を継承して、同社の全額出資によつて設立され、東京都千代田区丸の内三丁目一番一号に本社をおき、石油化学原料、半製品及び製品の製造、加工、売買等を目的とする資本金二〇億円の株式会社であり、また出光徳山工場は、本件事故当時徳山南陽地区石油化学コンビナート地域内の山口県徳山市宮前町一番一号に約四三万平方メートルの敷地を擁し、従業員数約九〇〇名によつて、エチレン、プロピレン、ベンゼン、トルエン、キシレンなどの生産を行い、エチレンについては、年産約一〇万トンの製造能力を有する第一エチレン製造装置(昭和三九年一〇月完成)と年産約二〇万トンの製造能力を有する第二エチレン製造装置(昭和四三年五月完成)とを有する出光の主力工場であつたが、同工場の組織機構は別紙(一)のとおりであつた。

二  第二エチレン製造装置

被告人四名の検察官及び司法警察員に対する各供述調書、プロセスの概要一冊(前同号の6)、第二エチレン配置図二枚(同号の8、9)、技術基準書一冊(同号の17)、被告人田中作成の第二エチレン製造工程説明書、岡澄夫(昭和四八年七月九日付)・佐伯謙三(同日付)・魚田慎二(同日付)・外崎弘文(同日付)・四辻美年(同月一一日付)・岩本稔(同月一二日付)・岩元辰幸(同月九日付)・皆川良雄(同月一一日付)・菊地敏次(同日付)・荻原正(同日付)の司法警察員に対する各供述調書によると、次の事実を認めることができる。

1  構成機器(プラント)

第二エチレン製造装置は、昭和四三年五月出光徳山工場のほぼ中央約三万平方メートルの敷地に総工費約一二〇億円を投じて建設された一大プラントであり、これを構成する主要機器としては、分解炉(八基)、蒸気過熱器(一基)、圧縮機(五基)、タービン(三基)、ポンプ(七七台)、塔槽(九九基)、熱交換器(九三種二〇一基)などがあり、粗製ガソリン(通称ナフサという。)などから、オレフイン炭化水素(エチレン、プロピレン、ブチレン)と芳香族炭化水素(ベンゼン、トルエン、キシレン)などを製造するものであつた。

2  エチレンの製造工程

第二エチレン製造装置におけるエチレンの製造工程の概要は、別紙(二)の〈1〉から〈17〉に示すとおりであつた(なお、別紙(二)表示の記号は、出光徳山工場内の各機器の略称であるが、以下において、適宜その略称を用いることがある。)。

(一) 分解部門(パイロ部門、別紙(二)〈1〉ないし〈4〉)

液状のナフサは、加熱気化の後、分解炉で熱分解されて炭化水素ガスとなり、第一分留塔(V6)で、重質炭化水素であるCBO(カーボン・ブラツク・オイル、純粋な炭素を製造する原料となるもの)が、分離槽(V7)で、冷却されて液体となつたTCG(サーマル・クラツキング・ガソリン―熱分解ガソリン、ベンゼン、トルエン、キシレンの原料となるもの)がそれぞれ除かれ、残余のガスは圧縮部門へと導かれる。

(二) 圧縮部門(別紙(二)〈5〉、〈11〉)及び処理部門(別紙(二)〈6〉ないし〈10〉)

圧縮部門は、タービンの力により、遠心運動を与え、送られてきたガスを加圧し、次の蒸留操作のときに有利な温度まで沸点を上げるために行われるものであるところ、本装置では一台のタービンで五段(C1ないしC5)の多段圧縮を行なう体制をとり、各段の分離槽で分離された油留分はストリツパー(V9)へ送られ、軽質分を分離し、還流される仕組になつていた。

圧縮機(C1ないしC4)より出たガス(本装置では四段)中には、硫黄化合物、二酸化炭素などの酸性物質及び水分などの不純物を含むため、これらの除去操作が行なわれる(処理部門という。)。処理部門では、まずM・E・A(モノエタノールアミン)洗浄による脱硫、苛性ソーダ洗浄による脱硫が行なわれたのち、乾燥塔(V63ないしV70)で脱水されたものが、脱プロパン塔(V16)へ送られ、プロパンより重質のブタン、ブタジエンなどを分離し、次いで第一アセチレン水添塔(V64)において、アセチレンの一部を同じガス中に含まれている水素と反応させてエチレンに転化させることにより除去した後、さらに五段目の圧縮機(C5)で加圧され、次の低温蒸留部門へ送られることになる。

(三) 低温蒸留部門(別紙(二)〈12〉ないし〈17〉)

まず脱メタン塔(V100、V101)で水素、メタン分、脱エタン塔(V103)でプロパン分を除去した後に、第二アセチレン水添塔(V264)において残るアセチレンを水素添加することによりエチレンに変え、さらにメタンスプリツター(V109)でメタン等低沸点成分を除いた後、エチレン塔(V105)においてエタンを分離してエチレンガスを製造する。

なお、以上各部門設置の各機器や本装置を構成する計器室、変電室等の徳山工場における概略配置図は、別紙(三)のとおりであつた。

3  作業員

本装置の運転は、製造第一課第二エチレン係(係長被告人田中弘幸)において、これを担当していたところ、同係はA直ないしD直の四組(各組の員数約一三名)に分けられ、一日三交替制の勤務体制をとつていたが、本件事故当時、職務に従事していたA直の構成作業員と担当作業内容とは別紙(四)のとおりであつた。

三  第二アセチレン水添塔

第四、五、七、一〇、二〇、二一回各公判調書中の証人徳光一郎の供述部分、オペレーターのための計装の基礎知識一冊(前同号の10)、前記技術基準書、設計図一枚(同号の18)、「G55 G58選択的水素添加触媒」と題する冊子(写)一部(同号の34)、第二エチレン装置フローシート(縮小版写)六枚(同号の48)、第二エチレンプラントフローシート(写)一枚(同号の49)、通商産業省立地公害局保安課長鎌田吉郎作成の「出光石油化学(株)徳山工場事故に伴う鑑定について」と題する書面(東京大学教授疋田強作成の鑑定書を添付、なお同鑑定書には出光石油化学(株)徳山工場第二エチレン製造装置事故調査報告書―以下、単に事故調査報告書という。―を添付)、司法警察員大下繁二作成の検証調書、前記第二エチレン製造工程説明書、西村昌詮(三通)・林田克己・横谷忠英・森田光義(二通)の司法警察員に対する各供述調書によると、次の事実を認めることができる。

1  アセチレンの水添

液状のナフサを熱分解した分解ガス中には、常にアセチレンが含まれているところ(ナフサの分解温度により多少差はあるものの九〇〇〇PPM前後である。)、アセチレンとエチレンとは沸点にほとんど差がなく、したがつていわゆる精留操作のみでは、両者を完全に分離し得ないため、第二エチレン製造装置においては、前記二2認定のとおり、第一アセチレン水添塔(V64)と第二アセチレン水添塔(V264)の二段階に分けて、アセチレンの除去を図り、最終的にはアセチレン含量を五ないし一〇PPM以下にすることを目的としていた。

V64では、導入された分解ガス中に含まれる水素とアセチレンとを、触媒の作用で反応させてエチレンとする。その後の工程にあるV264では、水素が既に脱メタン塔(V100、V101)で除去されているので、原料ガスに改めて水素を混合させたものを塔内に導入し、右ガス中のアセチレンと水素とを触媒の作用で反応させてエチレンとする。

2  構造

V264は、低温蒸留部門に設置され(別紙(二)、(三)参照)、G58Bパラジユウム系触媒(以下、単に触媒ということもある。)を層状に充てんした別紙(五)の構造を有する反応塔三基を別紙(六)の(1)のように上下に積み重ねた塔槽(上から順次A、B、Cという。)で、本件事故時にはB塔及びC塔の二基が使用されていた。

3  塔内の反応

V264に導入された原料ガスと水素とは触媒の作用により、次のように反応する。

原料ガス中に四〇〇〇PPM程度含まれるアセチレン、その大半を占めるエチレン並びに水素とが触媒に吸着することにより、触媒表面上で、それぞれの結合状態の組み替えが生じ、次の〈1〉、〈2〉のようにエチレン、エタンに転化する。

〈1〉  アセチレンの水添反応(エチレン化反応ともいう。)

アセチレン(C2H2)+水素(H2)―→エチレン(C2H4)発熱一モル当り四二・四キロカロリー

〈2〉  エチレンの水添反応(エタン化反応ともいう。)

エチレン(C2H4)+水素(H2)―→エタン(C2H6)発熱一モル当り三三・二キロカロリー

右の二種の水添反応が競合することになるが、V264で使用されていた触媒は、〈2〉の反応に優先して〈1〉の反応を生起させる性質(選択性)に優れたものであつたため、通常の場合、〈1〉の反応が優勢であつた。

ところで、エチレンの水添反応が進んで昇温すると、触媒の選択性が衰えるため、その操業温度を摂氏五〇度ないし一二〇度(以下、摂氏を省略する。)するとともに、標準運転時の温度条件を、

一塔目(B塔)入口六〇度ないし六三度 出口七五度ないし八〇度

二塔目(C塔)入口五五度ないし六〇度 出口六〇度ないし六五度

と設定していた。

4  計装

第二エチレン製造装置の運転操作は、計器室(別紙(三)参照)内の計器盤(ボードパネル、以下「ボード」という。別紙(六)の(2)参照)に設置された計器による遠隔操作によつて行なわれていたところ、V264Bに関係する主な計器の概要は、次のとおりである。

まず、PRC(圧力記録調節計)一五四六(以下、単に「PRC」という。)は、V103からV264Bへ原料ガスを供給する配管に取り付けられた調節弁を開閉して、原料ガスの流入量を調節するものであり、FRC(流量記録調節計)一六一一(以下、単に「FRC」という。)は、水素回収装置(V100、V101で分解ガス中から除去された水素を集める。別紙(二)参照)からV264Bへ水素を供給する配管に取り付けられた調節弁を開閉して、水素の流入量を調節するものであつた。

なお、経済性の観点から、右FRCを自動にした場合には、その時点以後に流入する原料ガス中のアセチレンを水添するに必要な水素量を自動的に供給することができる仕組になつていたものの、既に塔内に流入している原料ガス中のアセチレンを水添するに必要な水素量を算出調合することはできなかつた。

次に、FR(流量記録計)一五五八(以下、単に「FR」という。)は、V264Bへ流入する原料ガス量を、前記FRCは、V264Bへ流入する水素量を、それぞれボード上の記録紙に表示するものであつた。

さらに、TRAH(高温度警報付き温度記録計)一六〇三(以下、単に「TRAH」という。」は、V264Bの触媒層のほぼ中央にそう入されたミドルツーと呼ばれる温度計(以下、「M2温度計」ないし単に「M2」という。)と連結し、ボード上の記録紙に温度の推移を間断なく表示するものであつた。

なお、B塔そのものには、別紙(五)のとおり、M2のほか、トツプ、ミドルワン(「M1」という。)、ボトムの各名称を付された温度計が、四箇所にそれぞれ設置されてはいたものの、M2温度計の温度以外は、いずれもボード上の計器には連けいしておらず、計器室内のコンソールデスクでセツトボタンを押して表示を求めることにより、又はあらかじめ定められた一定の時刻毎にタイプされるロギングシートにより、その時点毎の温度を知ることができるだけであつた。さらに右TRAHは、M2の温度が一五〇度に達すると、ボードの上方に設置されたセミグラフイツク上の当該警報ブザーが鳴り、かつ警報用赤ランプが点滅する仕組みになつていた。

四 事故の概況

被告人田中(六通)、同大西(二通)、同石坂(四通)、同前岡(三通)の検察官に対する各供述調書、被告人田中(九通)、同大西(九通)、同石坂(一三通)、同前岡(三通)の司法警察員に対する各供述調書、司法巡査作成の実況見分調書、司法警察員作成の実況見分調書(七通)並びに検証調書、司法警察員作成の「遺品の発見について」と題する書面、事故調査報告書、司法警察員作成の検視調書(三通)、医師井上幹茂作成の死体検案書、古野潤治作成の鑑定書、出光石油化学株式会社徳山工場長作成の「第二エチレン製造装置の被害報告書」と題する書面、鑑定人市川惇信作成の鑑定書、No.44記録紙一巻(前同号の1)、No.46記録紙一巻(同号の3)、ロギングシート一枚(同号の4)、シフトノート一冊(同号の5)、定常運転マニアル一冊(同号の12)、運転マニアルスタートアツプ編一冊(同号の13)、運転マニアルシヤツトダウン編一冊(同号の14)、エマージエンシー対策(同号の16)、技術基準書、No.55記録紙一巻(同号の47)、岩本稔・岩元辰幸・広中峯雄・堀泰博・村上勇・中村昇太郎(二通)・波多野智の検察官に対する各供述調書、岡澄夫(二通)・佐伯謙三(三通)・魚田慎二(二通)・岩本稔(四通)・広中峯雄(三通)・橘野真一・浅本修治・原健治(二通)・尾形哲夫・松浪秀博・堀泰博(二通)・鶴下謙治・村上勇・中村昇太郎(三通)・波多野智(四通)・三浦茂男(二通)・西村昌詮(三通)の司法警察員に対する各供述調書を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  運転の引き継ぎ

昭和四八年七月七日午後四時ごろ、被告人大西勝則ほか一二名のA直直員は、D直と交替して第二エチレン製造装置の運転操作を引き継ぎ、被告人大西は計器室で全般の指揮監督に、同石坂は計器室でその補佐に、同前岡は計器室で低温蒸留部門の計器の監視及び操作に、他のA直直員はその担当部署で、別紙(四)記載の担当作業にそれぞれついた。

2  岩本稔の誤操作

同日午後六時三〇分ごろ、A直高温ボードマン佐伯謙三は、D直からの引継事項の一つである分解炉のデコーキング(すす払い)を実施するに当り、A直ヒーターマン魚田慎二に二インチプラントエアーバルブを六インチプラントエアーバルブに切り替えるよう要請したところ、同人において、その操作に不慣れであつたため、A直ローテンプマン岩本稔にその措置につき、教示を求めた。そこで、岩本は、魚田を伴つて現場に赴き、同人に教えて六インチプラントエアーバルブを開けさせ、次いで二インチプラントエアーバルブを閉めるべきところ、計器類に計装用空気を送る四インチスツールメントエアーバルブを誤つて閉めさせたため、計器室の計器が後記のとおり一斉に失調を来し(ハンチング)、フレアースタツク(排気ガス燃焼塔)から多量の黒煙が吹き出した。

その後、右岩本は、フレアースタツクからの黒煙を見て自己の誤操作に気付き、直ちに現場に引き返して、前記四インチインスツルーメントエアーバルブを開けたので、午後六時五八分ごろ、計器類は復調した。

3  事故発生の経緯

(一)  第二エチレン製造装置全般の状況

同日午後六時五〇分ごろ、計器室では、直長補佐被告人石坂重孝、高温ボードマン佐伯謙三、低温ボードマン被告人前岡博幸が、ボードに設置された計器類の監視、操作に従事していたところ、突如全計器類が一斉にハンチング現象を呈するとともに、機器の異常を知らせる赤ランプが数多く点滅し、警報ブザーも鳴り始める事態に至つたため、被告人石坂は、急ぎ放送で繰り返し直長被告人大西の計器室への帰来を求め、これを聞きつけた同大西は直ちに計器室に戻り、同石坂から説明を受けながら、計器の状況を点検したうえ、同石坂を介し全直員にシヤツトダウンの指令を発した。

ところで、シヤツトダウンとは、第二エチレン製造装置の場合、〈1〉分解炉の消火、〈2〉ナフサの供給停止、〈3〉圧縮機の停止、〈4〉低温蒸留部門の各反応塔を製造工程から切り離し(孤立という。)、各反応塔内のガスをフレアースタツク等に流すなどして塔内の圧力を低下(脱圧という。)させて各反応塔の運転停止等のプロセスを経て実施される装置の全面的な停止を意味し、それには、定期検査等の目的であらかじめ設定された計画表に従つてなされるノルマルシヤツトダウンとスチームストツプ、計装用空気のストツプ、停電等の緊急事態から生起する不測の事態を回避する目的で直長の臨機の指示に従つてなされるエマージエンシーシヤツトダウンとがあつたが、いずれの場合も前記〈1〉ないし〈4〉等の一連の作業内容に違いはなかつた。

かくして、被告人大西の指示により、直ちに現場では前記〈1〉、〈2〉等の作業が開始される(例えば、分解炉の消火だけでも、機器破壊を防止するため徐徐になされることから数時間を要する作業である。)一方、計器室では、高温部門を担当する佐伯と低温部門を担当する被告人前岡とが、ボード上の調節計の自動・手動切替ノブを順次手動に切り替える操作を始めた。

ところが、同日午後六時五八分ごろ、前記2認定のとおり、計装用空気が回復したため、それまでハンチングしていた計器が一斉に復調し、その直後被告人大西のもとへ魚田から電話で前記誤操作のいきさつの報告があつたが、同被告人はそのころ駆け付けた工務課計器係係員にこのことを明かさないで、電気系統の点検を依頼し、事態の推移をしばらく見守ることにした。

こうするうち、同日午後七時二〇分ごろ、第二エチレン係係長被告人田中弘幸も、前記シヤツトダウンの連絡を受けて出社し、直ちに計器室において、同大西から前記誤操作等の報告を受け、計器が復調しているところから、運転再開(スタートアツプ)に備えることを考え、同大西らと協議のうえ、第一エチレン製造装置から、既に分離槽までの工程を経ている分解ガスを第二エチレン製造装置に導入し(別紙(二)参照)、上流から下流に向け順次各機器を通常運転と同一状態に近づけて行く準備運転(整定運転)に入るよう指示するとともに、一部消火中であつた分解炉を順次点火(完了には一〇時間以上を要する。)するよう命じた。

こうして、第二エチレン製造装置全体としては、徐徐に運転再開に向け進行していた整定運転続行中に、後記のとおりV264Bにおいて事故が発生した。

(二)  V264Bの状況

(1) 同日午後六時五〇分ごろ、計装用空気の供給停止に伴い、あらかじめ設計されたとおり自動的に原料ガス調節弁が全開し、水素調節弁が閉止したため、V264Bへは原料ガスのみが供給される事態が発生したが、間もなくV103とV109との圧力差がなくなり、原料ガスの供給も停止した。

そのころ、計器室では、被告人前岡は前記(一)のとおり切替ノブを手動にする過程でV264Bに関するPRC、FRCの各切替ノブも手動にした(なお、流量を加減する手動調節ノブには触れていない。)。

(2) ところが、同日午後六時五八分ごろ、計装用空気の回復に伴い、V264Bへ原料ガスと水素の供給が開始された。

その直後、計器室では、被告人前岡は、計器が復調したのを確認し、再び順次各切替ノブを自動に戻し始め、その過程でPRCを自動に戻したが、FRCは手動のままとし手動調節ノブを閉止しなかつた。同日午後七時一一分ごろ、V103の塔頂圧力がPRCの設定値以下に低下したため、原料ガスのB塔内への流入がとまつたのに、水素は水素回収装置とV109との圧力差によりB塔内への流入が続いた。これは、同被告人が前記(1)のとおりV264Bに原料ガスのみが供給され、同ガス中に含まれるアセチレンをエチレン化するのに必要な水素の供給が停止する事態が一時的に発生し、このためアセチレンが同塔内においてエチレン化されないまま許容限度を超えて原料ガスに残留し、その後の工程に移行すると、もはや、これを除去できず規格外製品(オフスペツクという。)を生ずることとなるので、不足する水素を補給する目的でなしたものであつた。

(3) 同日午後七時二〇分すぎごろ、応援のため計器室に駆け付けたC直直員堀泰博は、被告人大西の指示を受けて同前岡の担当する低温部門を同被告人と二人で監視することになり、V264B等の操作に従事するようになつたところ、FRCの記録紙により水素の流入が続いていることに気付いたが、すでに整定運転に入つているうえ、同前岡から引き継ぎは受けていなかつたものの、オフスペツク回避の措置を同被告人がとつているものとその意図を察知するとともに、TRAHに表われたM2温度にも異常な徴候は見受けられなかつたため (前掲No.55記録紙とその記録値を読み取つた鑑定人市川惇信作成の鑑定書によると、M2温度はこのころ次第に下降しつつあつたことが認められる。―別紙(七)参照)、そのまま水素の供給を続けることにし、さらに同日午後八時ごろ、改めてM2温度を確認したが、やや通常より高いが、昇温の気配もなかつたため、水素のみがB塔に流入していることを知りながら、このことを応援の広中に引き継ぐ必要すら認めず、そのまま帰宅した。

なお、この間に堀は、被告人石坂が第一エチレン製造装置から、第二エチレン製造装置の水素回収装置へ通じるバルブを開き、水素を導入する操作をとつたため、V264Bへの水素の流入量が増加することを知つたが、右のとおり、M2温度に異常がないことから、同前岡のとつた措置を継続することに何らの不安感も抱かず、むしろ当然の措置と解していた。

(4) 同日午後八時ごろ、被告人大西は、計器室で待期していたB直直員(フリーマン)広中峯雄、常昼作業員瓜生茂義に応援を求め、それまで堀の担当していた低温蒸留関係を広中の、被告人前岡の担当していた冷凍コンプレツサー関係、プロピレン精製関係のうち後者を瓜生の分担とし、被告人前岡ともども低温ボードを監視させることにした。こうして、広中は、堀と交代することになつたが、堀から別段の引き継ぎ事項もなかつたため、順次計器類(調節計のみでも約六〇はある。)を点検していくうち、FRC、FRの各記録紙によつてV264Bに原料ガスの流入がないのに、水素のみが流入し続けている状態にあることに気付き、TRAHではM2温度に上昇傾向はみえなかつたものの、通常より幾分高目であつたので、被告人前岡に対し、その時点における水素導入の必要性を尋ね、同被告人の指示を受けて、同日午後八時八分ごろ、FRCの手動調節ノブの開度を零とした。なお、広中は、右のとおりM2温度にさしたる異常がなかつたので、前記水素流入の事実に別段不安を抱くこともなく、上司(被告人大西、同石坂)に報告もせず、他の計器の調整をしていつた。

(5) 同日午後九時二〇分ごろ、被告人石坂は、計器室の計器類をみてゆくうち、TRAHの記録紙に表示されたM2温度が徐徐に上昇しつつあるのを認め、広中に「V264の温度が上昇気味だから注意してくれ」と指示を与えた。一方、広中は、右昇温を何らかのガスの反応によるものと考え、塔内ガスを幾分なりと安全弁バイパスライン(別紙(五)の安全弁ノズルに連結された配管)からフレヤースタツクに抜き、さらに原料ガスのみを入れて温度を下降させるべく、応援作業員原健治に右バイパスラインを開放させた。数分後、被告人石坂は、PRC及びFRCがいずれも手動で調節ノブも閉じているのに、なおもM2温度が上昇中であることから、早期に原料ガスを流すことによつて降温操作をとる必要を感じ、広中にバイパスラインを閉止させるとともに、PRCの手動ノブによつて調節弁を開放して原料ガスの供給を開始し、M2が一五〇度に達していなかつたことから、同時にオフスベツク回避のためFRCを自動にして水素の供給も開始した。なお、その傍らでみていた広中も原料ガスの導入には何ら異存はなかつたものの、M2温度が通常より相当高目(前記市川鑑定書によると別紙(七)のとおりほぼ一三〇度であつた。)であつたため、水素を同時に供給することには、温度がさらに上昇するとして反対の意向を表明した。

(6) 被告人石坂が右措置をとつた直後、突如M2温度を表示するTRAHの指針が二〇〇度を越えて振り切れたため、同被告人は直ちにFRCを手動にして調節ノブを閉止とし、さらに他の作業員に現場のブロツクバルブで水素の導入を閉塞させた。このころ、TRAHの指針が振り切れているのに気付いた同大西は直ちにコンソールデスクでM2温度を調べたところ、七〇〇度を確認するに至り、計器室は騒然とした雰囲気となつた。そこで、被告人田中、同大西、常昼波多野智らは協議のうえ、直ちに塔内温度を降下させるべく、反応塔入口の原料ガス加熱用の熱交換器(E265―別紙(六)の(1)参照)をバイパスさせて低温の原料ガスのみを大量に流入させたが、塔内の温度が降下せず、そのためさらに塔内へ流入する原料ガス流量自体を一段と増加させる目的でC塔出口ガスを燃料ガスライン(別紙(六)の(1)参照)へ切り換え、上流と下流の圧力差を大きくし一層流量の増大をはかる作業を繰り返えさせた。

4  事故発生と被害

(一)  B塔の爆発

前記降温操作にもかかわらず、B塔内の温度を下げることができず、かえつて一層の昇温を招き、高温の塔内ガスがB塔内から流出して同塔出口外側の配管を加熱し、遂に同日午後一〇時すぎごろ、モーターバルブフランジガスケツトがゆるみ、そこから右ガスが漏出して空気中の酸素に触れて発火して燃焼し始め、同日午後一〇時一五分ごろには、高温のため右モーターバルブに接続するエルボ部分が破裂し、そこから大量に漏えいしたガスにさらに引火して爆発大火災となり、その炎は順次V103、V109、V105及びこれに付帯する熱交換器類に延焼し、これに約二〇メートル離れたタンクに液化ガスとして低温貯蔵されていた熱交換器冷却媒体用プロピレンが徐徐に気化して引火燃焼を続け、同月一一日午前九時四〇分ごろ、ようやく鎮火するに至つた(別紙(八)参照)。

(二)  人的被害

前記エルボ付近で消火作業に従事していたD直直長補佐野田浩司(当時二五年)が焼死した。

(三)  物的被害

公訴事実記載のとおり塔槽類五三基等(時価約二五億円、焼失面積延べ約一八四八平方メートル)を焼燬した。

五 事故の原因

1  はじめに

事故調査報告書によると、次の事実が認められる。

本件事故について、昭和四八年七月一三日通商産業省(以下、「通産省」という。)公害保安局に事故調査委員会が設けられ、事故の原因及び今後の事故防止対策の検討が行なわれた。

事故調査委員会は次の一二名の構成員で編成された。

委員長

疋田強

東京大学教授

委員

市川惇信

東京工業大学教授

井上威恭

横浜国立大学教授

井上勇

早稲田大学教授

大島榮次

東京大学助教授

大橋輝一

高圧ガス保安協会理事

功刀泰碩

東京大学教授

佐々木和郎

公害資源研究所資源第四部長

寺沢誠司

東京工業大学教授

内藤道夫

産業安全研究所主任研究官

永瀬章

消防庁予防課長

橋口幸雄

東京工業試験所主任研究官

事務局

通産省立地公害局(公害保安局)

広島通商産業局

山口県

右調査委員会は、次のとおり調査、検討を経て、その結論を事故調査報告書にまとめた。

第一回委員会

昭和四八年七月一三日

(通産省において)

第二回委員会

同月一四日

(現地において)

第三回委員会

同月一五日

(現地において)

第四回委員会

同月一六日

(現地において)

第五回委員会

同月二一日

(通産省において)

第六回委員会

同月二五日

(通産省において)

第七回委員会

同月二八日

(通産省において)

現地調査一日目

同月一四日

現場調査及び計装関係の調査

現地調査二日目

同月一五日

会社側より事情聴取

計装・反応関係、爆発・火災対策関係、保安体制関係の三班を編成し現場調査

計装反応班による記録調査(徳山警察署において)

現地調査三日目

同月一六日

問題点の討議と現場再調査

現場調査四日目

同月一九日

事故のあつたB塔の解体立合い及び内部状況調査

2  事故調査委員会による調査結果

事故調査報告書、No.44、No.45、No.46、No.48、No.55各記録紙(前同号の1ないし3、46、47)、ロギングシート(同号の4)、鑑定人市川惇信作成の鑑定書、証人功刀泰碩(昭和五一年一〇月四日施行、昭和五三年五月一七日施行)、同市川惇信、同大島榮次に対する当裁判所の各尋問調書、市川惇信作成の「回答書」と題する書面によると、次の事実を認めることができる。

(一)  記録紙の解析

TRAH、FR、FRCの各記録紙を時間的な対応を明らかにしつつ、記録紙上の記録値をいずれも等間隔目盛りに変換することによつて得られた図表が、別紙(七)、(九)、(一〇)である(なお、TRAHの記録値を読み取り図表化したものには事故調査報告書に添付された別紙(九)が存するが、市川証言によつて、これは必ずしも精密なものとはいいがたいことが明らかであり、同人作成の鑑定書に添付された別紙(七)が正確である。)。

なお、午後八時八分ごろ、広中がFRCの手動調節ノブの開度を零にしたことは、既に認定したとおりであるが、その後も午後九時三〇分ごろまで水素の漏れ込みがあつた。これは、FRCが作動することにより現場の調節弁が閉になつた場合、弁の摩耗等を防止するため、あえて若干の空隙を保つ仕組となつていることから生ずる必然的な流量(最小流量)に基づくものと推定される。

(二)  V264B内における反応の態様

(1) 反応塔内ガスに流れのある場合

原料ガスと水素とが混合してプロセスガスとなり、触媒層を通過して出口に至り、この間触媒層全域にわたつて、ほぼ一様に水添反応(前記三、3)が進行するため、触媒層の温度は、ほぼ全域で均一に昇温することとなる。このため、塔内温度の推移はM2温度の指示のみによつて把握されることになる。

(2) 反応塔内ガスに流れのない場合

塔内にプロセスガスが滞留している場合には、間断なく流入する水素とアセチレン、エチレンとが、触媒層上層部から順次完全にエタン化するまで反応し続けながら、次第に下方に移行する。このため、塔内触媒層には、上方から約四〇〇度に達した高温部分(反応帯)が形成され、次第に下降する現象を呈する。したがつて、触媒層では、反応帯より上部とその下部とでは、極めて顕著な温度差が生じることになる。そのため、M2は反応帯によつてもたらされる高温部を捕捉することができないことになる。

(三)  V264B内における反応の種類

B塔内におけるG58B触媒による温度上昇は、次の三種の反応によつて惹起されたと推定される。

(1) エチレンの水添反応

前記三の3で認定したとおりの反応式によるもので、プロセスガス中のアセチレンがエチレン化してなくなると、右触媒の下ではこの反応のみが生ずる。

ところで、この水添反応によつて昇温する限界温度は、触媒の活性限界(水素の吸着力を喪失する限界温度)に依拠するところ、右触媒はほぼ四〇〇度で活性を失う(失活という。)。この反応は塔内のエチレンすべてを反応させるに十分な水素が存在したとしても、最高四〇〇度程度の昇温を招くにすぎないと推定される。

(2) エチレンの接触分解

G58B触媒層では、高温下において次の三種のエチレンの接触分解反応が起る。

〈1〉 3C2H4―→2C2H6+2C

エチレン―→エタン+炭素

発熱 一モル当り二六・〇キロカロリー

〈2〉 C2H4―→CH4+C

エチレン―→メタン+炭素

発熱 一モル当り三〇・四キロカロリー

〈3〉 C2H4―→2C+2H2

エチレン―→炭素+水素

発熱 一モル当り一二・五キロカロリー

〈1〉は、四〇〇度から六〇〇度の間で起る。〈2〉は四五〇度以上で活発になる。〈3〉は五〇〇度以上で起る。いずれも発熱反応であり、主に生ずる反応は〈2〉である。

(3) エチレンの非接触的熱反応(気相熱反応)

この反応はエチレンの滞留時間が、一秒以内では、ほとんど生ぜず、五秒以内では、八〇〇度以上で顕著になり、数十秒にわたると約六五〇度から活発になる。その種類は次のように重合、熱分解、水素化の三種類よりなり、発熱量は一モル当り一〇・八キロカロリーである。

C2H4

エチレン

ブテン、ブタジエン、プロピレン(重合)

メタン、炭素、水素(熱分解)

エタン(生成水素による水素化)

重合反応で生成した、ブタジエン、プロピレン等は、二次反応で、ピツチ、タール等のポリマーに変質する。

(四)  事故時の塔内の状況

(1) 事故当日午後七時一一分ごろから午後八時八分ごろまでの間、別紙(九)及び(一〇)のとおり滞留中のプロセスガス中に水素のみが流入しておりながら、別紙(七)のとおり、M2温度が逆に下降しつつあつたB塔内の状況は、およそ次のようなものであつたと認められる。

すなわち、前記反応帯が触媒層上部に形成されたが、触媒層のほぼ中程に設置されたM2付近では、何らの反応も生起していなかつたため、反応熱の供給はなく、かえつてそれまで触媒粒子中に蓄積されていた熱を次第に失いつつあつた。

(2) 同日午後八時八分ごろから午後九時三〇分ごろまでの間、別紙(九)及び(一〇)のとおり滞留中のプロセスガスに水素の流入がない(もつとも前記最小流量の水素の流入は認められる。)のに、別紙(七)のとおり午後八時三〇分ごろからM2温度が上昇しつつあつたB塔内の状況は、およそ次のようなものであつたと認められる。

すなわち、前記反応帯によつてもたらされた高温部分の下部に最小流量の水素によつて新たな反応帯がわずかながら形成されたため、M2付近にもその影響が現われ始めた。

(3) 同日午後九時三〇分ごろ、別紙(九)及び(一〇)のとおりプロセスガスと水素の供給が開始されるや、別紙(七)のとおりM2温度が突如上昇を始めたころのB塔内の状況は、およそ次のようなものであつたと認められる。

すなわち、それまで滞留状態にあつた同塔内のガスが下方に流れ始めそれに伴つて、高温部が上部から下部へ移動を始め、この高温部に触れたエチレンが接触分解を惹起して急激な昇温を招き、その高温により誘発されたエチレンの前記気相の熱分解(非接触的熱分解)も加わつて一層の温度上昇を引き起こした(なお、導入された水素はもはやエチレンの接触分解の始つた段階では、塔内温度上昇に何ら寄与していない。)。

(4) その後継続した原料ガスの流入によつて招来されたB塔内温度上昇は、次のようなものであつたと認められる。

すなわち前記エチレンの接触分解と非接触的熱反応(七〇〇度以上では後者が主に生ずる。)とが著しくなり、その結果同塔内触媒層は部分的に九〇〇度を突破した。

(五)  V264Bの強度(耐温度)

B塔は内径二一〇〇ミリメートル、肉厚二三ミリメートルのSB49と呼ばれる鋼板から成つており、金属温度が六一〇度以上となれば破裂するはずであつた。ところが現実には前記のとおり触媒層の温度が右温度以上になつたにもかかわらず破裂しなかつたのは、層内にガス道が発生し、高温部分が塔壁に接触しなかつたためと推定される。

またB塔の底部からエルボを経てフランジに至る配管は外径四〇六ミリメートル、肉厚一九ミリメートルのSB49からできているが、九二〇度以上にならなければ破裂しない。前記のとおりガスの温度はそれ以上であつたが、前記エルボ破裂までの時間が数分間あつたので、金属温度は八〇〇ないし九二〇度の間にとどまつていたものと推定される。

ところが、前記エルボは外径四〇八ミリメートル、肉厚一四ミリメートルのSTPG38と呼ばれる鋼板からできており、八八〇度になれば破裂するところ、右破裂部分は屈曲しているためまともに通過する高温ガスに加熱されて、右温度以上に達したと推定される(別紙(八)参照)。

3  まとめ

前記2のとおり、本件事故発生の機序は、

〈1〉  午後七時一一分ごろから午後八時八分ごろまで、B塔の滞留中のプロセスガス中に水素のみが流入したことにより、塔内触媒層上層部から順次ほぼ四〇〇度に達する反応帯が形成されたこと、

〈2〉  右状況下で午後九時三〇分ごろ以後同塔内に原料ガスが流入し、右ガス中のエチレンが反応帯に触れて接触分解反応等を惹起し、塔内の温度を一層急上昇させたこと

の両者の競合によるものである。

ところで、東京大学教授疋田強作成の鑑定書、通商産業省立地公害局保安課長作成の昭和四八年一〇月一五日付「捜査関係事項の照会について(回答)」と題する書面、証人橋口幸雄に対する当裁判所の尋問調書、功刀泰碩の検察官に対する供述調書によると、B塔内の滞留中のプロセスガス中に水素のみがいかに多量に流入させ続けたとしても、それのみでは、エタン化反応の上限温度がほぼ四〇〇度程度にとどまるため、塔そのものの耐熱温度(六一〇度)からみて、本件事故のような結果を発生させる危険性は存しないことが認められる。

したがつて、B塔内に滞留中のプロセスガス中に水素のみを流入させること及びB塔内に原料ガスを流入させることの各所為を、それぞれ別個独立にとり上げてみた場合には、それぞれの所為には、結果発生の危険性が含まれていないが、前者の所為に引き続き後者の所為が重なると、ここにはじめて結果発生の危険が生ずることは明らかであるから、本件事故は、両者がいわば累積的に競合することによつて発生するに至つたものである。

第三被告人らの責任

一  被告人らの経歴、地位等

被告人田中(昭和四八年八月一日付―四枚綴りのもの)、同大西(同日付)、同石坂(同日付―七枚綴りのもの)、同前岡(同月七日付)の司法警察員に対する各供述調書によると、次の事実が認められる。

被告人田中は、昭和三一年山口県立徳山商工高校工業化学科を卒業後、出光興産株式会社(以下、「興産」という。)に入社し、昭和三九年前記出光の設立により、同社徳山工場に移籍し、以来第一、第二エチレン係のボードマン、直長等を経て、昭和四四年一一月以後第二エチレン係係長をしていた。

被告人大西は、昭和三八年大分県立中津工業高校卒業後、興産に入社し、翌三九年出光の設立により同社徳山工場に移籍し、以来第一、第二エチレン係のボードマン等を経て、昭和四七年一一月以後第二エチレン係A直直長をしていた。

被告人石坂は、昭和四二年兵庫県立姫路工業高校を卒業後、出光徳山工場に勤務し、第一、第二エチレン係のボードマン等を経て、昭和四八年三月以後第二エチレン係A直直長補佐をしていた。

被告人前岡は、昭和四三年島根県立浜田商業高校商業科を卒業後、出光徳山工場に勤務し、三か月間の基礎教育と第二エチレン装置各部門の実習を終えた後、昭和四四年一一月一日以後第二エチレン係の作業員として、分解、圧縮等の各部門のアウトサイダーを経て、昭和四六年初めごろからボードマンをしていた。

右の次第で、被告人らは、いずれも高校を卒業後、出光徳山工場に勤務し、第二エチレン製造装置についての教育を受けて、その運転に従事し、V264Bについても経験の差等から生ずる知識にちがいはあるものの、いずれも前記担当職務において一応の経験と知識を有する作業員であつたことが認められる。

二  V264Bの温度制御に関する手法

被告人らの過失の成否を判断するうえで、V264Bの塔内温度制御に関する手法を明らかにすることが必要不可欠であると考えられるので、まず、この点につき考察を加えることとする。

1  V264Bにおける昇温とアラームポイント

設計図一枚(前同号の18)、「G-55 G-58選択的水素添加触媒」と題する冊子(写)一部(同号の34)、第四、五、二〇、二一回各公判調書中の証人徳光一郎の供述部分、徳光一郎の検察官に対する昭和四九年一〇月一一日付供述調書、徳光一郎(昭和四八年九月六日付)、井ノ口順一(同月一一日付)、尾形哲夫の司法警察員に対する各供述調書によると、次の事実が認められる。

本件事故前においては、出光の技術関係者の間では、G58B触媒について、経済性の観点から、選択性(前記第二、三、3参照)に関する研究は進んでいたが、活性限界(前記第二、五、2(三)参照)の点は詳らかでなかつたため、エチレンの水添反応の反応温度の上限も明らかでなく(出光技術研究課によるこの点の実験並びに研究は第三回公判後に実施された。)一方B塔そのものの耐熱温度の上限は設計基準(三五〇度)をかなり上回ることは分つていたが、事故後の調査結果(六一〇度)程綿密に検討を加えたことがなかつたので、ともかく、選択性を失わない範囲(触媒メーカーによると一八〇度が上限温度である。)内で温度を制御すれば、決して右設計基準を越えるような温度上昇はあり得ないと考えられていた。

そのため、塔内には、昇温状況を把握すべきものとして、前記第二、三、4で認定のとおり、M2温度計を設置し、これにTRAHという計器を連絡させて記録紙に温度状況を刻々印させ、しかも、前記選択性の上限温度より相当低い一五〇度を警報点(アラームポイント)とし、これに達した場合には警報装置が自動的に作動する仕組とした。こうして、被告人ら作業員には、右記録紙による表示と右警報装置の作動によつて、温度上昇を把握せよとの教育が徹底してなされた。なお、M2のほかトツプ、M1、ボトムの各温度計が塔内にそう入されていたが、これらはもつぱら触媒再生時期等の判断に供する目的で設置されたもので、塔内の反応温度の状況を監視するために使用されたことはなかつた。

2  降温対策

第二エチレン装置運転操作基準一冊(前同号の11)、運転マニアルシヤツトダウン編一冊(同号の14)、エマージエンシー対策一冊(同号の16)、第五、七、一八回各公判調書中の証人徳光一郎の供述部分、同証人に対する受命裁判官の尋問調書、被告人田中の検察官に対する昭和四九年五月二〇日付供述調書、同大西の司法警察員に対する昭和四八年八月九日付供述調書によると、次の事実が認められる。

出光の技術関係者は、エチレンの水添反応についての基礎的知識(第二、三、3で述べたように、水添反応は温度と水素に規定される。)を被告人らに教示するとともに、M2の温度が前記アラームポイントに達した場合、あるいは、それ以下でも上昇傾向がみえる場合には降温操作として次のような手法を講ずべきものと指導していた。

すなわち、前記第二、三、1のとおり、場内に入るプロセスガスはそれぞれ別個の配管を通る原料ガス(エチレンを含む。)と水素の混合によつて形成されているため、塔入口のプロセスガスの温度のみならず、水素の流量も調節できるところから、〈1〉第一段階として、反応塔に入るプロセスガスの入口温度を下げる(反応の速度を低下させること)か、添加する水素量を減じ(反応そのものを抑えること)あるいは添加水素をカツトする(反応そのものを阻止すること)かの操作を、〈2〉第二段階として、入口温度を下げた原料ガスのみを多量に流入させる(触媒層を冷却させること)操作をとることであつた。

なお、降温操作に関連して、V264Bの孤立、脱圧について、検討するに、本件事故当時確かにその設備が存してはいたものの、まず孤立(エチレンの製造工程からの分離)のため、V264バイパスラインを開放させてプロセスガスをバイパスさせるにつき、右ラインには盲板がそう入されていたため、その取り外し作業にかなりの人数と時間を要したこと、脱圧(塔内ガスを抜くこと)の方法として、〈1〉安全弁バイパスラインを利用してフレアースタツクに抜く方法、〈2〉触媒再生出口ラインからヒユーエルガスライン、V11又はフレアースタツクへ抜く方法とがあつたが、〈2〉は専門の業者によつて実施しなければならず、夜間では不可能であり、〈1〉も、わずか一インチ口径のパイプを連結していたため、長時間を要すること、さらに塔内ガス温度如何によつては、急激な脱圧による触媒層の破壊、計器の損傷などの問題があつたことなどから、出光の技術幹部においては、V264Bの孤立、脱圧は、第二エチレン製造装置の完全な運転停止(シヤツトダウン)に至る場合のように、長時間をかけて行なうことを目的とし、それに見合う装置を設置していたにすぎないのであつて、それ以上に降温操作に流用することは予定されていなかつた。これに対し、V64には、計器室の操作により一瞬にしてバイパス、孤立、脱圧を完遂し、塔内ガスを一挙にフレアースタツクに抜くことができる緊急孤立脱圧装置が設けられていたのであるが、これは構造上V264Bのように、水素流入量を調節して水添反応を抑止し、原料ガスを導入して触媒層を冷却させるエチレンパージの降温操作をとり得ないためであつた(もつとも、疋田強作成の鑑定書、功刀泰碩の検察官に対する供述調書には、V264Bには、当時脱圧を要しない窒素パージ装置―塔内ガスを窒素をもつて置換える装置―が備わつていたことを前提とする記載が存するが、前者については、証人水谷久夫に対する当裁判所の尋問調書によつて、現実の装置を現地で確認したわけでないこと、後者についても、証人功刀泰碩に対する当裁判所の尋問調書により、一般論として述べたにすぎないことがそれぞれ明らかで、前記徳光証言によると、孤立、脱圧装置とは別の窒素パージ装置はなかつたと認められる。)。

三  結果の予見可能性

過失犯が成立するための要件である注意義務は、究局的には結果回避義務をいうところ、これを具体的に行為者に課するためには、その前提として構成要件的結果発生の予見可能性がなければならない。右にいう予見可能性とは、現に発生した結果並びに結果に至る因果の概要について予見が可能であることを意味すると解するのが相当であり、その有無の判断は、当該行為者の置かれた具体的状況の下において、これと同等の地位に立つ者(一般人)を基準にしてなされるものである。

以下、右の見地から、先に認定した被告人らの事故前の知識等に加え、各被告人の置かれた具体的状況等を併わせ考慮しながら、その予見可能性の有無につき、検討することとする。

なお、認定に供する証拠は、特に掲げるほかは、第二の認定に供した証拠と同一であるから、その記載を省略する。

1  被告人前岡博幸

(一) 前記第二、五、2、3で認定のとおり、本件事故は午後七時一一分ごろから午後八時八分ごろまでの間V264B内に滞留中のプロセスガス中に水素のみが供給されたことにより、触媒層上層部に局部的に異常な高温部(反応帯)が形成されたこと、そして右状況下において、午後九時三〇分ごろ原料ガスが供給されたことにより、ガス中のエチレンが右高温部と触れ接触分解等の反応を引き起こし、塔内に一層の昇温をもたらしたことの両者が相俟つて発生したことは明らかである。

したがつて、被告人前岡にとつて、観念的に結果回避の措置として想定できるのは、

〈1〉 まず、午後七時一一分ごろの時点で、水素の供給を差し控えること

〈2〉 次に、水素の供給を停止した午後八時八分ごろの時点で、V264Bを前記二、2の操作を経て孤立(V264Bをエチレン製造工程から切り離して、これに原料ガスが流入しないようバイパスさせること)させること、もしくは孤立させたうえ、前記二、2の操作を経て脱圧(V264Bの塔内ガスを徐徐に排出させること)すること

である。

ところで、第二、四、3、(二)で認定したとおり、被告人前岡は、午後八時八分ごろの時点において、午後七時ごろ以後滞留中のプロセスガス中に水素のみが流入し続けていたことに気付いたことが認められるのであるから、前記〈1〉の回避措置はひとまず措き、結果により近い前記〈2〉の回避措置を同被告人に義務付けることが可能か否かを考察することとするが、まず、これを肯定するには同被告人に前叙のとおり予見可能性が認められなければならない。

そして、本件は、前記第二、五、3でみたように、滞留中のプロセスガス中にいかに多量に水素のみが流入したとしても、結果発生の危険がなく、その後これに累積的に原料ガスの流入が複合してはじめて結果発生の危険が生ずるという点で特殊性を有する事案であるから、前記予見可能性を肯定するには、結果発生に至る因果経過の概要のうち重要部分であると考えられる、

〈1〉 B塔内に滞留中のプロセスガス中に水素のみが流入することによつて、M2に現われない高温部分が生じていたこと

〈2〉 その後、右塔内に原料ガスが供給(降温操作ないし温度の整定操作)されることによつて、塔内温度が一層昇温し、その結果同塔が爆発に至ること

の二点につき認識ないし予測が可能でなければならない。

(二) まず滞留中のプロセスガス中に水素のみが流入することによつて、M2に現われない局部的な高温部が生ずることの認識可能性について検討する。

この点に関し、まず前記事故調査委員の見解をみてみるに、

〈1〉 市川惇信委員は、「こういつた反応装置を、ある程度専門に勉強なさつた方にとつては常識でございますが、大学の教授、助教授必ずしも全部知つているということではないと思います」(同人に対する当裁判所の証人尋問調書)と、

〈2〉 功刀泰碩委員は、「おそらく化学工学と申しますか、あるいは触媒工学と申しますか、そういつたような本には必ず出て来ます」「これは、先ほどご質問があつて申し上げましたけれども通常、大学卒程度の方で、化学工学を勉強された方ですと、こういうことはよく教わりますし、また、練習実験等でもいろいろやりますので、大体わかつておると思います。大学卒程度の方はわかつておるんじやないかと思います。一般論として申し上げまして」(同人に対する当裁判所の昭和五三年五月一七日施行の証人尋問調書)と、

〈3〉 大島榮次委員は、「それで、たとえば我々でも事故調査委員会としていろいろな事情を聞いて、それではこういうことが起こつているんではなかろうかというので、確かめる意味で計算をやつたわけで、計算をやつてみますと、なるほどそういうふうな現象は起こりそうだということが確かめられた、その程度に我々としては類推はできましたけれども、計算して確かめる程度にすべてを、オペレーターとか、エンジニアという者は必ず、こういうものを知つておるというほどの常識ではないと思いますね」

(同人に対する当裁判所の証人尋問調書)と

それぞれ述べ、いずれも一様に被告人らと同等の地位に立つ現場の作業員には、先の認識ないしその可能性はなかつたと解せられる旨供述している。

次いで、出光の幹部技術者の捜査段階の供述をみてみるに、徳光一郎(第二エチレン製造装置の設計、建設の責任者であり、V264Bについては最も詳しい技術者)は、捜査段階において、

「問 あの事故の際午後七時頃から午後八時八分頃までのボードマンによるV二六四への水素供給量はどの程度だつたでしようか。

答 この点については事故後も算定を試みたことがありますが記録紙自体が完全に正確なものとはいえませんので正確な数値は算定できませんでした。ただ推定では、ほぼ反応器一杯に水素が入つたものと思います。

問 それだけの水素と残留エチレンのみでどの程度まで温度が上昇したと考えられますか。

答 この点についてはいろんな要素を加味しなければなりませんので正確にはいえませんがせいぜい四〇〇度程度までの温度上昇で終つたと思います。水素を全部使い切るだけのエチレンがなかつたからです。」(検察官に対する昭和四九年一〇月一一日付供述調書)

と、滞留中のプロセスガス中に水素のみが流入すると、その水素が未反応のまま塔内に残留する旨述べ、当時の技術系副工場長中村昇太郎も司法警察員に対する昭和四八年八月九日付供述調書で、また当時の製造第二課長井ノ口順一も司法警察員に対する同年九月一一日付供述調書で、いずれも徳光と同趣旨のことを述べているのであつて、出光の技術幹部においては、事故後事故調査報告書(同書二七頁から三五頁には、反応帯につき図解付き説明がある。)を検討して取調べに臨んだ段階ですら、滞留中の反応態様の特殊性について理解できていないといわざるを得ず、まして事故以前においては、右の点につき知見はなかつたものというほかはない。

もつとも、右徳光一郎は、第二一回公判調書中の供述部分において、捜査段階の供述とは逆に、事故以前から同人自身は、滞留中の反応態様の特殊性につき、事故後解明にあたつた市川委員と同等程度の知見を有していたかのように述べている箇所が存するのであるが、前記同人の検察官に対する供述調書等に照らし、到底信用しがたいといわざるを得ない。

さらに、実際に作業を担当する被告人ら作業員の捜査段階での供述をみてみるに、被告人田中弘幸は、「七時すぎから八時八分頃までV二六四に水素が入つていることに……気付いておれば……過剰に流入された水素を処置していたと思います」(検察官に対する昭和四九年六月二五日付供述調書)、

「プロセスガスはカツトされているので、V264Bのリアクター(反応塔のこと)内に残留しているだけですが水素はカツトされていないのでリアクター内にじゆう満し、……プロセスガスと水素を入れたので急に温度上昇し……」(司法警察員に対する昭和四八年八月三日付供述調書)、「水素が流入して滞留していたのに加えてプロセスガスと水素を流入した」(司法警察員に対する同月四日付供述調書)

と、前記徳光ら出光の幹部技術者と同様、塔内に未反応水素が残留する旨述べ、同大西も検察官に対する昭和四九年五月二三日付供述調書で、同石坂も検察官に対する昭和四九年七月一日付供述調書で、同前岡も検察官に対する昭和四九年六月二八日付供述調書で、いずれも全く同じ趣旨のことを述べているほか、他の作業員の供述調書でプロセスガスが塔内に滞留している場合と流れがある場合とを区別して述べているのは皆無である。

かえつて、原料ガス滞留中の午後八時八分ごろまで、V264B関係の操作を担当した被告人前岡以外の他の作業員も、次にみるとおり、被告人前岡と同様M2温度計に塔内の反応による昇温が現われるとの認識を前提にして運転操作に従事していたことが肯認できる。

すなわち、午後七時二〇分ごろ、被告人前岡を応援してV264関係のボードを監視するようになつた堀泰博は、その直後から午後八時八分ごろまでの間、水素のみがB塔内に流入し続けていることを知しつしながら、「第二アセチレン水添塔のB・C反応器の温度も交代時に確認していますが特に高かつたとか昇温のきざしがみえるといつた状態ではなく六〇~七〇度程度だつたと思い」(堀泰博の検察官に対する供述調書)、「それがこれ以上上るようだつたら水素を切るなどの措置をしなければいけませんが、このときは、まだそんなに上つているというほどでなく、私が最初ボードを応援した当時とたいして変りはなく、広中さんにとくにいうこともないと考えそのままにしていたのです。」(同人の司法警察員に対する昭和四八年八月九日付供述調書)と、また、午後八時八分ごろからV264関係を担当した広中峯雄は、午後七時すぎごろから、水素のみがB塔内に流入し続けていたことに気付いておりながら、「アラームは一五〇度で鳴る事になつており、この程度の温度では直ちに危険という事はない」(広中峯雄の検察官に対する供述調書)

と、いずれも、滞留中のプロセスガス中に水素のみが流入した場合にも、B塔内での水添反応はほぼ均一に進むこと、つまりM2温度によつて塔内の反応の状況を把握できるとの理解を前提にして供述しているのであつて、M2に現われないところで、水添反応が進行し局部的に昇温していたことには思いも及ばなかつたことが顕著である。

してみると、滞留中の反応によつてM2では捕えられない高温部が現われるという点については、出光の技術幹部でさえ、十分な理解がなく、ましてその指導下にあつた被告人ら作業員には、到底認識し難いところであつたといわざるを得ない。

なお、その後、B塔に原料ガスが供給されることによつて、塔内温度が一層昇温し、同塔に危険が生ずることの予測可能性についても考察を加えておく。

既に第二、四、3、(一)で認定したとおり、午後七時二〇分ごろ、第二エチレン製造装置では、第一エチレン製造装置から分解ガスを導入し、上流から下流に向け、順次整定作業に入つていたのであるから、午後八時八分ごろの時点においては、V264Bに遠からず原料ガスが供給される状況にあつたことは、担当作業員らに十分予測できるところであつたと認められる。

しかしながら、右時点において、塔内に局部的に高温部が生じていることは、右にみたように被告人らと同等の地位にある者にとつては、到底認識ないしその可能性も存しなかつたことが明白であるから、その後原料ガスが供給されることが十分予測されても、その原料ガスが原因して、B塔内の温度が異常に昇温することがあり得るとの予測は全く不可能であつたというほかはなく、かえつて、堀泰博の司法警察員に対する昭和四八年八月九日付供述調書によると、同人が午後七時二〇分すぎ以後被告人前岡と同じく滞留中のプロセスガス中に意識的に水素のみを流し続けたのは、早晩V264Bへ原料ガスが流れてくることが予測されたからであつた旨供述するほか、被告人前岡「昭和四九年五月八日付―一五枚綴りのもの)、広中峯雄の警察官に対する各供述調書によると、両名は、いずれも滞留中のプロセスガス中に水素のみが流入し続けていたことを知つておりながら、午後九時三〇分ごろの時点において被告人石坂がV264Bに原料ガスを流入させる操作をとつているのに気付いた際、被告人前岡は「ガスを入れる分には別に危険はない」と、広中も「ガスを入れるだけなら冷却作用を有するので、いい」とそれぞれ思つた旨述べているのであつて、これらの供述を併わせ考えると、被告人前岡と同じ立場に立つ作業員の水準では、午後八時八分ごろの時点において、後刻原料ガスが流入してくることに安心感を抱きこそすれ、不安や危険を覚えるようなことは全然なかつたことが明白である。

なお、被告人らは、捜査段階において、当時の出光の基準書には「シヤツトダウンの際には水素の供給を停止すべき原則」があつた旨述べている(被告人田中((昭和四八年八月二日付))、同大西((同月四日付))、同前岡((同月八日付))の司法警察員に対する各供述調書並びに同石坂((昭和四九年五月一〇日付―一五枚綴りのもの))、同前岡((同月八日付―一五枚綴りのもの―、同年六月八日付))の検察官に対する各供述調書)ので、右原則と結果の予見可能性との関連について、以下検討を加えることにする。

確かに、運転マニアルシヤツトダウン編(前同号の14)にその旨の記載があり、被告人らの捜査段階の供述によると、これは緊急シヤツトダウンの場合にも適用があるとされていたことが認められる。

しかして、右原則は、右シヤツトダウン編に記載されているところから明らかなように、第二エチレン製造装置の各機器を工程から切り離して孤立させ、各塔内ガスを排出脱圧して全面的な運転停止に至る過程において、V264を孤立、脱圧する前提の手法として定められたものであつた。そしてその趣旨ないし目的とするところは、シヤツトダウンの完結(各機器の孤立、脱圧)を目ざす場合、上流から順次孤立、脱圧に入る段階では、もはや原料ガスの流れは、各工程で寸断されることになり、出光の技術関係者の間では、もしそれまでにV264に水素を流入させ続けていると、水添反応による発熱の態様がV64と同様の状態になると考えられ(水添反応の発熱の態様がV264とV64とで同一である旨述べている中村昇太郎の検察官に対する昭和四九年四月二五日付供述調書は、V264における前記反応帯現象を理解していないことに基づくと思われる。)、そうなると、前記二、2のとおり、V64では緊急孤立脱圧装置があつて降温措置をとり得るのに対し、V264では原料ガス導入によるエチレンパージによつて降温操作をすることが不能となり、もともと降温用に使用することを予定していない設備によつて孤立、脱圧せざるを得なくなるため、右設備の不備に起因する触媒の破壊等が予想されていたところから、このような事態の現出を予防することにあつたといえる。

ところが、本件では、午後六時五〇分ごろ、被告人大西からいつたんシヤツトダウンの指令は発せられたものの、午後六時五八分ごろの計器の復調により、その直後、同被告人から、シヤツトダウンの作業(分解炉の消火作業)の中止が命ぜられ、そのころ被告人前岡、佐伯の両ボードマンにより計器も逐次自動に戻されて工程の連結が回復され、各機器の現状維持のための暫定的な調整作業に移り、さらに前叙のとおり午後七時二〇分ごろから、被告人田中の指令により第一エチレン製造装置からガスを導入して運転再開を目ざして積極的な整定運転に入つていつたことが明らかである。

してみると、午後七時すぎごろには、もはや各機器とりわけV264が孤立、脱圧に向かう状況にはなかつたことが明らかであるから、このころ以後は、運転マニアルシヤツトダウン編に記載されたV264の孤立、脱圧の前提としての水素カツトの原則が適用されるような事態ではなかつたというべきである。さればこそ、被告人前岡が午後七時一一分ごろから水素を流入させたことにつき、堀泰博は、「第二アセチレン水添塔は当時B・Cの二塔を使つていましたがこの双方にVSIで少しずつの水素が入れられていました。検証調書No.六八の写真の一番上が記録紙ですが二段目の右から六個目のFIC一六一二と七個目のFIC一六一一が二塔目と一塔目の水素の流量指示調節計ですがこの双方がDではなくB、つまり手動にセツトされ二ないし三ユニツトの指示値を示していました。私はこれを見てこれは閉め忘れたのではなく第二アセチレン水添塔内の残留プロセスガスをオフスペツク、つまり規格外製品にしないために多分前岡君がセツトしたものと考えましたのでこれには触らずそのままにしておきました」「なお規格外製品を作らないために水素を入れるのならどうしてDにセツトし自動的にやらないかという疑問が起るかと思いますがこれはDにセツトすれば確かにプロセスガスの流量に比例して水素が流れるわけですがプロセスガス自体が極めて微量な場合や残留ガスだけでガスの移動がない場合は作動しませんのでB、つまり手動にして二ないし三の少量の水素を流す方が却つて適切なわけです」(検察官に対する供述調書)と述べ、右原則適用を問題にしないばかりか、むしろ適切として支持し、自ら継承しさえしているのである。

そうすると、当時出光において、前記運転マニアルシヤツトダウン編でV264を孤立、脱圧するのに不可欠の前提として定められた水素カツトの原則が存在していたことが明らかではあるけれども、各機器が全く孤立、脱圧に入ることなく、逆にスタートアツプに入つた状況下においては、右原則が問題となる余地はなく、まして、右原則を根拠に、被告人ら作業員に、後刻原料ガスが供給(整定ないし降温操作として)されることによつて、B塔の温度がさらに上昇するとの予見可能性があつたとすることは到底できない。

(三) 以上検討してきたとおり、午後八時八分ごろの時点において、被告人前岡と同等の立場にある作業員(ボードマン)には、結果発生の予見可能性がないことが明らかであるから、この時点で前記(一)で想定した〈2〉の回避措置を同被告人に義務付けることはできないといわざるを得ない。

さらに、前記(一)で想定した〈1〉の回避措置を同被告人に義務付けるには、午後七時一一分ごろの時点において同被告人に結果発生の予見可能性が肯定されなければならないところ、右にみたとおり滞留中のプロセスガス中に水素のみが流れ続けていたことに気付いた午後八時八分ごろの時点においてさえ、予見可能性を認めがたいのであるから、午後七時一一分ごろの時点で、これを肯認しがたいことは理の当然といわなければならない。すなわち、午後七時一一分ごろの時点に立てば、B塔に滞留中のプロセスガス中に水素のみが流入すること、既にシヤツトダウン作業が中止され調整運転に入つていた段階であるから、後刻降温ないし整定操作として原料ガスが入つてくることはいずれも予測可能であつたものの、両者が相俟つて異常に昇温し、結果を惹起するとの予見が不可能であつたことは、前記(二)に詳述したところから明らかといわなければならない。

なお、検察官は、午後七時一一分ごろの約三分後に水素の供給を停止して結果を回避すべき義務がある旨主張している(前記第一、一参照)。しかし、右主張は、事故当時被告人前岡が、プロセスガスが滞留している場合もそれに流れがある場合と同様に、V264B内全域にわたつて水添反応がほぼ均一に進行すると認識していたとしたうえ、このような同被告人の誤つた右認識を前提とし、その上に立つて注意義務(結果回避義務)を設定しているものであつて(補充論告要旨三項参照)、到底採るを得ない。

2  被告人石坂重孝

(一) 既に第二、五、3で認定したとおり、本件事故は、被告人石坂が午後九時三〇分ごろ原料ガスを供給しなければ、発生しなかつたことは明らかである。したがつて、問題は、この時点において、同被告人に対し、原料ガスの供給を避けることを義務付けることが可能であるか否かであり、これを肯定するには前叙の予見可能性が認められなければならない。

ところで、被告人石坂が原料ガスを供給する直前の状況をみてみると、前記第二、四、3、(二)及び第二、五、2、(四)で認定したとおり、PRC及びFRCがいずれも手動で、調節弁が閉じられていたのに、M2が徐徐に昇温する傾向にあつたことが認められるところ、検察官は、同被告人が右状況下において、M1の温度、FRCの記録紙の確認などしていれば、原料ガス導入によつて結果が発生することが予見可能であつた旨主張しているので、以下原料ガスが供給されることによつて、塔内温度が一層上昇し、B塔に危険が生ずることの予測可能性について判断する。

(二) まず、M1の温度の確認によつて、結果発生の予見可能性を肯定し得るか否かにつき、検討を加えることにする。

前記二、1に認定したとおり、M1温度計は、元来塔内反応温度の状況を監視するために設置されたものではなく、触媒再生時期の判定等運転解析の目的で設けられていたものであつて、このことは作業員にも公知のことであつたこと、前記1に認定したとおり、滞留中の反応態様の特殊性(反応帯現象)について、作業員には知見のなかつたこと等に照らし、午後九時三〇分ごろの時点で、作業員に対し、M1の温度の確認を期待することは、同人らにとつて至難のことを要するに等しいといわざるを得ない(ちなみに、捜査段階で塔内温度の状況につきM1の温度に言及した作業員は皆無であつた。)。

しかしながら、この点は暫らく置き、検察官の主張するとおり、被告人石坂が午後九時三〇分の時点において、M1の温度コンソールデスクで確認したとしたうえ、同被告人に結果の予見可能性が存したといえるか否かを検討する。

事故調査報告書、ロギングシート(前同号の4)によると、M1の温度は午後九時に三四七度を示し、午後九時三〇分ごろまでほぼ同様であつたことが認められる。そうすると、同被告人は、B塔内上層部に局部的に右高温部があることを認識できたことになる。そして、その高温部の温度を下げるべく、運転手法として指導教育されていた原料ガス導入の方法を講ずることが、かえつて一層の昇温を招来することにつき、同被告人に予測が可能であつたか否かを問うことになり、これはとりもなおさず、同被告人が、高温度下における前記エチレンの接触分解反応について知見を有していたか否かにかかることが明らかであるから、この点について考察する。

ところで、事故調査委員会において、右エチレンの接触分解反応が本件事故の原因であることを見出すに至つた経緯は、次のとおりである。

事故調査報告書、証人功刀泰碩(昭和五一年一〇月四日施行)、同橋口幸雄に対する当裁判所の各尋問調書によると、第一ないし第四回までの委員会において、その都度事故原因につき検討が重ねられたものの、調査委員の間ではエチレンの接触分解反応が原因であるとの意見は無論のこと、エチレンの水添反応以外の特別な反応が発生したのではないかとの意見さえ出なかつたこと、その後前記橋口委員が、B塔の解体に立会つた際、塔内状況から、エチレンが分解している事実を発見し、第五回委員会において、これを提示したこと、そこで金属パラジウムを触媒とするエチレン、プロピレン等のオレフイン系化学反応を長年研究してきた前記功刀委員は、東京大学の研究室において、種々の角度から、検討を加えた末、エチレンの接触分解反応が本件事故の原因であることの結論に達し、第六回委員会の席上これを発表し、他の委員も了解するに至つたことが認められる。

一方、徳光一郎の検察官に対する昭和四九年七月八日付供述調書、中村昇太郎、井ノ口順一の司法警察員に対する各供述調書(いずれも昭和四八年九月一一日付)によると、出光の技術関係者の間では、右エチレンの接触分解反応につき、何らの研究、調査もなされていなかつたため、事故当時明確な認識のあつた者は皆無であつたことが認められる(もつとも、右徳光は、司法警察員に対する昭和四八年九月一一日付供述調書、第五回公判調書中の供述部分において、事故以前から、エチレンの接触分解反応につき知見があつたかのように述べているのであるが、これらと同人の前記検察官に対する供述調書、第一〇、二〇、二一回各公判調書中証人徳光の供述部分とを対比してみると、同人の右知見を肯認する供述自体、事故後の知識を織りまぜてのものであることが明らかであり、右に認定した事故調査委員会での事故原因に関する調査の経緯のほか、証人功刀泰碩に対する当裁判所の昭和五三年五月一七日施行の尋問調書によつて認められるところの、同証人が右委員として、現地調査をなし、出光幹部技術者らより事情聴取等をなした際、事故原因が接触分解反応であるとの意見を述べた者が誰一人存しなかつたという事実に徴し、右徳光のみが事前にB塔内でエチレンの接触分解反応が起こり得ることを知つていたかの如き供述部分は、到底採用し難いものといわざるを得ない。)。

してみると、幹部技術陣から教育、指示を受ける立場の被告人らとしては、幹部技術者でさえ知り得なかつたエチレンの接触分解反応の存在につき知見がなかつたことは明らかであり、したがつて、原料ガス(エチレン)を入れることは、事故前においては、前記二、2で認定したとおり降温操作として出光内部では、確立した手法であつたのであり、この手法によつて、結果の発生があり得ることの予見は全く不可能であつたといわざるを得ない。

次に、FRCの記録紙を確認することによつて、結果発生の予見可能性を肯定し得るか否かにつき、検討を加えることにする。

FRCの記録紙(前同号の3)は、確かにボード上に設置されていて、その表示により水素供給の有無程度のことを識別することはできるものである。しかし、証人市川惇信に対する当裁判所の尋問調書、事故調査報告書、右記録紙によると、右記録紙は、平方根目盛りであるうえ、表示そのものがインクのにじみや、零点位置の不正確さなどのために、専門の学者、研究者でさえ読み取りに相当の困難を伴うものであつたことが認められる。そうすると、検察官の主張するように、右FRC記録紙によつて、水素の流入量までも即時に読み取ることを被告人ら作業員に期待することは到底できなかつたというべきである。

しかしながら、この点を措き、検察官主張のとおり、FRCの記録紙により流入水素の有無及びその量が仮に計算できたとした場合、あるいはそれによつて、M1の温度が前記のとおり午後九時三〇分ごろの時点において三四〇度前後を示しているのは、右流入水素とエチレンとの水添反応によるものであるとの認識に達することもあり得ると考えられはするけれども、右M1の温度の上昇の原因が判明しても、既に詳細に述べたとおり、エチレンの接触分解反応の認識を有しない作業員には、エチレンの水添反応による昇温に対する操作として教示されていた原料ガス供給によつてB塔に危険が生ずる程の昇温が起こり得るとの予見は到底不可能であつたといわざるを得ない。

なお、検察官は、被告人石坂と同じ立場に置かれた作業員であれば、原料ガス供給によつて一層の昇温を来す危惧感を抱くものである旨主張するが、前記第二、四、3、(二)認定のとおり、B塔内温度が七〇〇度、さらに九〇〇度を突破した段階でさえ、なお被告人田中、波多野智らにおいて大量の原料ガスをB塔内に導入し続けていたことに照らしてみても、午後九時三〇分の時点で作業員らが原料ガス導入に何ら危惧感を抱いていなかつたことは明白である。

(三) 以上検討してきたとおり、午後九時三〇分ごろの時点において、被告人石坂と同等の立場にある作業員には、結果の予見可能性がないことが、明白であるから、この時点で前記(一)で想定した回避措置を同被告人に義務付けることはできない(なお、午後九時三〇分ごろに流入した微量の水素が、その後の昇温に何ら寄与していないことについては、第二、五、2、(四)、(3)参照)。

3  被告人大西勝則、同田中弘幸

(一) 検察官は、右被告人両名に対し、B塔に滞留中のプロセスガス中に水素のみが供給され、その後これに原料ガスが供給されることになれば結果発生に至るとの予見が可能であつたとの前提に立ち、被告人前岡が滞留中のプロセスガス中に水素のみを供給していること、また被告人石坂がその後、原料ガスを入れる操作をなすことにつき、いずれも認識ないし予見が可能であつたとして、それぞれ結果回避義務があると主張している。

(二) 確かに、被告人大西は担当直の直長として午後七時一五分すぎごろ同田中が計器室に入るまで、第二エチレン製造装置の運転に関する責任者であり、直員全員を指揮する立場にあつたし、被告人田中が出社後においても、状況を最もよく把握している直長として、同被告人を補佐すべき立場にあつたこと、また、被告人田中は係長として出社後はA直直員のみならず応援作業員全員を指揮すべき立場にあつたことはいずれも肯認し得るところである。

しかしながら、本件事故発生に至る因果経過のうちで、重要な、滞留中のプロセスガス中に水素のみが流入した場合、M2温度計に捕えられない局部的な高温部が形成されること、及び局部的に高温部が形成されれば、原料ガスが流入することによりさらに塔内温度の昇温を招来すること(エチレンの接触分解)について、両被告人に予測ないし認識の可能性がないことは、1及び2で詳述したとおり明らかといわなければならない。

(三) なお、検察官は、被告人大西、同田中には、同石坂が原料ガスを供給したことを前提に、午後九時三〇分ごろ以降、その供給が開始されていたときは直ちにこれを停止し、孤立、脱圧、窒素パージを行なうなどの適切な是正措置を講ずる義務があると主張するので、一応検討する。

通商産業省立地公害局保安課長作成の昭和四八年一〇月一五日付「捜査関係事項の照会について(回答)」と題する書面では、

「午後九時三〇分ごろエチレンガスと水素の流入後において、水添塔(B、C反応器)内の温度が急速に上昇しているので、温度上昇後において窒素パージ、脱圧等による操作を行なつても、適切に爆発火災を防ぐことはむしろ不可能に近いものと思われる」(証人水谷久夫に対する当裁判所の尋問調書によると、当時通産省立地公害局保安課高圧ガス班長であつた同証人が事故調査委員会での討議の結果を踏まえ、委員長疋田強の承認を経て作成したことが認められる。)と、

また、功刀泰碩の検察官に対する供述調書では、

「問 九時半にプロセスガス等を流入させた後どの時点から爆発が不可避になつたと考えられますか。

答 午後九時半のプロセスガス流入直後温度が急激に上昇していますがその後は殆んど爆発は不可避の状態と考えられます」

とされていて、

もはや九時三〇分ごろ原料ガスが導入された時点以降においては、結果回避の可能性は存しないといわざるを得ない。したがつて、検察官の主張する前記義務は、いずれも結果回避の義務たり得ないことは明白である。

4  まとめ

以上みたとおり、被告人らについて、いずれも注意義務を課する前提となる予見可能性を認めることはできない。

なお、被告人らは捜査段階においていずれも予見可能性を肯定する趣旨の供述を繰り返していることにかんがみ、検討を加えることとする。

まず、捜査段階において、出光関係者が事故発生の因果の経過及びその予見可能性について述べる部分のうち重要と思われるものを摘記すると、以下のとおりである。

〈1〉 中村昇太郎

「午後七時一〇分頃から午後九時三〇分頃までの間に、アセチレン水添塔(V264)を孤立させ水素を脱圧すればよかつた」(司法警察員に対する昭和四八年八月九日付供述調書)

〈2〉 徳光一郎

前記1、(二)で引用した供述部分

〈3〉 井ノ口順一

「また水素が入つておらず、滞留水素もないのだとすれば、塔内温度を下げる方法としての措置にはプロセスガスを流してやるということもあります」(司法警察員に対する昭和四八年九月一一日付供述調書)

〈4〉 被告人田中弘幸

前記1、(二)で引用した供述部分

〈5〉 被告人大西勝則

「また七時頃から八時八分頃まで水素が入つていたことに気がついていたとしたら私自身は九時半の段階でプロセスガスも水素も入れはしなかつたと断言できます。エチレンの接触分解という反応は事故後知つたのですがアセチレンの水添反応だけでなくエチレンに過剰に水素を加えるとエタン化しその際にも発熱することは知つていましたから七時頃から八時八分頃まで水素を入れていわば過剰に水素がある状態の中にプロセスガスを入れれば発熱反応が起こることは判りきつているからです」(検察官に対する昭和四九年五月二三日付供述調書)

〈6〉 被告人石坂重孝

「一時間近くに亘つて、水素だけが送り込まれていて、水素が過剰になつているところにプロセスガスを送り込めば、エタン化反応で発熱を促進する事は知つておりましたから、若し水素が入れられていた事を知つておれば、プロセスガスを入れる様な事はしませんし、勿論更に、水素を入れるという事もしておりません。水素流入事実に気がついておれば、係長、直長に報告し、窒素を入れ、過剰になつている水素を脱圧する措置をとつていた筈です」(検察官に対する昭和四九年七月一日付供述調書)

〈7〉 被告人前岡博行

「また九時半頃、石坂さんがV二六四にプロセスガスを入れ様とした時、私がその前に水素を入れた事は忘れていたのですが、仮に思い出していたとすれば、石坂さんにその事を話して、ガスを入れるのをやめさせたと思います。何故なら過剰な水素があれば、プロセスガス中の成分と反応して発熱反応を起こし暴走する危険があるからです」(検察官に対する昭和四九年六月二八日付供述調書)

以上のとおりで、これらの供述は一様に、

〈1〉 午後七時一一分ごろから午後八時八分ごろまでB塔内に水素のみが供給されたことにより、午後九時三〇分ごろの時点では、同塔内に、多量の未反応水素が残留していたこと、

〈2〉 右の残留未反応水素が、午後九時三〇分ごろ導入された原料ガス中のエチレンと反応して(エタン化反応)急激な昇温をもたらしたこと、

〈3〉 右高温下になおも原料ガスが導入されたため、ガス中のエチレンが接触分解反応を惹起し一層昇温したこと

を前提に供述していたことが明らかである。

ところが、右にみた各供述は、出光の幹部技術者である徳光が、公判段階において、

「問 証人は、四九年一〇月一一日の検察官調書で、本件事故当時、反応器いつぱいに水素がはいつていたと推定いたしますと、という趣旨のことを述べておりますけれども、事故調査報告書の二六ページでは、七〇ないし八〇パーセントであるというふうに述べておるんですが、これはどちらが正しいでしようか。

答 事故調査委員の方と話してた時の記憶があつたもんですから、七〇、八〇という数字を明確に覚えてなくて、ほとんどいつぱいという言い方で申し上げたのが、検察庁での調書に出ておる記載でございます」

「問 四〇〇度程度というのは、ことさら何か計算をしたものではないんですか。

答 むしろ、はつきり言いますと、功刀先生の事故調査報告書の中の四〇〇度が頭の中に鮮明にあつたので、先にそれを申上げたというのが実情です」(以上、第五回公判調書中の供述部分)

と述べているところから明らかなように、事故調査報告書の記載ないし事故調査委員の見解等に依拠したものといえる。

そして、右報告書二六頁をみると、確かに、「一九時一一分~二一時二〇分に亘る水素の水添塔への流入について」との標題の下に、

「水素流入量の推定

図一a(別紙(一〇))に示される流入水素量の瞬間値の読みを基礎とし、台形近似を用いて水素流入量の積分値を求めた結果は次のとおりである。

V―264B 一九〇Nm3

V―264C 二〇〇Nm3

これはV―264B、Cの見掛け空隙量(二一―九・五)≒一〇m3の七〇ないし八〇パーセントに相当する」との記載がある。しかしながら、右水素流入量の記載は前記証人市川惇信に対する当裁判所の尋問調書に照らしても、徳光が前記供述で説明しているように反応塔の全容積あるいは、その七〇ないし八〇パーセントを意味するものではないことが明らかであり、この点、同人には著しい誤解があつたというほかはない。

しかも、右徳光は、導入水素が直ちに完全に反応し尽くされることから生じる前記反応帯現象についての解説が、事故調査報告書になされていた(後記〈2〉参照)にもかかわらず、前記誤解故にか、右現象と全く相容れない前記未反応水素残留の現象が現出したとの理解に終始していたことがうかがえるのである。

してみると、右徳光ら出光幹部技術者をはじめ、その影響下にあつた被告人ら末端の作業員に至るまで、出光関係者は、一様にこのような重要な点につき、事故調査委員の見解ないし事故調査報告書の内容を必ずしも正確には理解できないまま、捜査官の取調べに応じて前記各供述に及んだものと考えられる。

加えて、捜査官の側においても、昭和四八年九月下旬には既に、その手もとに、次の極めて重要な証拠資料を保有していた。

〈1〉 ロギングシート一枚(前同号の4)

これは、計器室内にあつて、コンピユーターに組込まれた現場の各種データ(温度、圧力、流量等)が設定され時刻毎に打刻記録されたものであつて(ただし、流量については設定時間の平均値を表示する。)、後刻運転状況を解析、検討する際の資料とされる(通常運転中の操作資料とはならない。)ものである。このうちV264Bの塔内温度に関する部分を左に抄記する。

これによつてB塔内温度の状況をみてみると、午後八時(先に認定したとおり、広中がFRCによつて水素をカツトした時点に最も近い。)には、塔内にそう入された四本の温度計の値はいずれもほぼ正常域にあるのに、午後九時には、M1が三四七度を示していることが明らかである。

LOG SHEET NO.5(抜すい)

TIME

1200

1300

1400

1500

1600

1700

1800

1900

2000

2100

2145

2200

2202

2215

2230

LOW

TEMP

TAIL

END

REACTOR

67

V264B Top Temp

TI

3837

64

65

64

64

68

65

65

71

66

134

75

96

98

119

289

68

V264B Middle 1 Temp

TI

3838

68

69

68

69

68

69

69

70

71

347

79

96

97

121

223

69

V264B Middle 2 Temp

TRAH

1603

75

76

76

76

75

76

77

74

84

99

896

690

681

579

241

70

V264B Bottom Temp

TI

3839

79

79

79

79

79

80

80

80

86

88

495

896

896

896

239

〈2〉 事故調査報告書

同書一三頁には、午後九時にM1が三四七度を示していた旨の記載があり、この昇温に関連して同書二七ないし三五頁にわたつて、滞留プロセスガス中に流入した水素はエチレンが存在する限り完全に反応して、触媒層上層部から順次前記「反応帯」を形成し、時間の経過とともに下降していくことが、図解によつて説明されていた。

これらの客観的資料によると、被告人ら出光の関係者が、同じ様に、午後九時三〇分ごろの時点において、V264B内に未反応水素が多量に残留していたとそれぞれ供述している部分は、明らかに、事故後つくり上げられた架空なものであることが、即座に判明するはずであるのに、この点に目を当てて捜査が進められた形跡は全然うかがえない。

ひるがえつて、被告人らの捜査官に対する各供述調書は、いずれも、事故発生の機序を未反応水素の大量残留という仮象を軸として組み立て、その上に立つて、結果の予見可能性、ひいてはそれぞれ結果回避義務違反までも自認しているものであるところ、これは既にみたとおり現実にはあり得ない架空の因果を前提に、いわば誤つた推論を重ねてなされたものというほかはなく、著しく真実性を欠き、到底採用に値しない。

第四結語

本件事故は、作業員の尊い生命を奪い、付近住民を長時間にわたつて恐怖に陥れるなど甚大な被害をもたらしたものであつて、まことに遺憾ではあるけれども、当時の石油化学業界の技術水準では事前に予知し得ない特殊な条件が累積的に重り合つて発生した稀にみる前例のない災害であつて、被告人ら現場作業員の知識水準では到底予測しがたいものであつた。

よつて、被告人らには、いずれも検察官の主張するような注意義務を課することはできないから、結局、犯罪の証明がないことになり、刑事訴訟法三三六条により主文のとおり判決する。

(裁判官 中村行雄 佐々木茂美 和田康則)

別表(一)

出光徳山工場組織機構〈省略〉

別紙(二)

エチレンの製造工程図(〈1〉ないし〈17〉)〈省略〉

別紙(三)

第二エチレン製造装置配置図〈省略〉

別紙(四)

A直の構成

職名

作業員氏名(事故時年令歳)

勤務年数

担当作業内容

直長

大西勝則(28)

10年

主として計器室において勤務し、全体の指揮、監督にあたる。

直長補佐

石坂重孝(24)

6年

計器室及び現場において勤務し、全体の指揮、監督の補佐にあたる。

フリーマン

岡澄夫(23)

5年

計器室及び現場において勤務し、各作業員の担当職務の補助、指導にあたる。

低温ボードマン

前岡博幸(23)

5年

もっぱら計器室において勤務し、低温部門の運転にあたる。

高温ボードマン

佐伯謙三(20)

2年

もっぱら計器室において勤務し、高温部門(分解・処理部門)の運転にあたる。

ヒーターマン

魚田慎二(23)

1年

現場(分解炉)において、その調整作業にあたる。

コンプレッサーマン

外崎弘文(22)

1年

現場(圧縮部門)において、その調整にあたる。

パイロマン

四辻美年(23)

1年

現場(分解部門)において、その調整にあたる。

ローテンプマン

岩本稔(21)

3年

現場(低温蒸留部門)において、その調整にあたる。

K炉担当

岩本辰幸(20)

2年

現場(分解炉のうちK炉)において、ヒーター部門の点検調整にあたる。

ヘビーエンドマン

皆川良雄(19)

1年

現場(重質部門)において機器の管理、調整にあたる。

ローテンプマン見習

菊地敏次(18)

3か月

岩本稔の下で見習。

ヒーターマン見習

荻原正(24)

3か月

魚田慎二の下で見習。

別紙(五)

V264B反応塔概略図〈省略〉

別紙(六)の(1)

アセチレン水添システムフローシート〈省略〉

別紙(六)の2

第二エチレン製造装置計器室のボードパネル見取図〈省略〉

計器番号

名称

FR1558

水添塔入口プロセスガス流量計

PRC1546

脱エタン塔圧力記録調節計

FRC1611

水添塔1塔目水素流量記録調節計

FRC1612

水添塔2塔目水素流量記録調節計

TRC1601

水添塔1塔目入口ガス温度記録調節計

TRC1606

水添塔2塔目入口ガス温度記録調節計

PRC1654

メタンスピリッタ―圧力記録調節計

FIC 702

水添塔再生蒸気流量指示調節計

PICA-H701

水添塔再生ライン高警報つき圧力指示調節計

GCR5213

水添塔1塔目入口アセチレンガス分析記録計

GCR5205

水添塔1塔目出口アセチレンガス分析記録計

LIA-H1559B

水添塔2塔目出口グリーンオイルセパレーター高レベル警報つきレベル指示計

LIA-H1559A

水添塔1塔目出口グリーンオイルセパレーター高レベル警報つきレベル指示計

HC1609

水添塔入口ガス熱交換器バイパス手動調節計

GCR5214

水添塔2塔目出口アセチレンガス分析記録計

TRA-H1607

水添塔2塔目出口ライン高温度警報つき温度記録計

TRA-H1603

水添塔1塔目触媒床ミドル―2高温度警報つき温度記録計

TRA-H1602

水添塔3塔目触媒床ミドル―2高温度警報つき温度記録計

TRA-H1604

水添塔2塔目触媒床ミドル―2高温度警報つき温度記録計

別紙(七)

V264BのM2温度の記録〈省略〉

別紙(八)

V264B塔出口付近概略図〈省略〉

別紙(九)

V264BのM2温度の記録(TRAH1603)

V264Bの原料ガスの流量の記録(FR1558)〈省略〉

別紙(一〇)

V264Bの水素流量の記録(FRC1611)〈省略〉

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